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白洲次郎と白洲正子展
横浜SOGOにて『白洲次郎と白洲正子展』を見る。世の中には自分に非常に近い感性の人間が片指分くらいはいると信じているが、こんなこと言うと「ふざけるな」と怒られそうだが、白洲正子が自分にとってのその一人だと思っている。だからこの人が選定してきた数々の品を見て、感心するというよりは納得がいくというほうが素直な感想である。思い上がった発言と思われるだろうが、物販で彼女が収集した骨董の写しを売っていても、同じ審美眼があるなら自分で骨董市などで拾ってきたほうが良いとさえ思った。白洲正子のことは今までも「遠からず」という存在として認識していたが、人というのは不思議なもので、自分に似ているものより自分とまったく違うものに惹かれるものだ。きっと好きだろうけど近づく必要のない存在。それが自分にとっての白洲正子だった。しかし、今回こうして足を踏み入れてしまっては最後。その世界は簡単には抜け出せない、深い魅力にあふれている。この人からひとつ影響を受けるとすれば「手紙」だろうか。明治生まれにとって「手紙」は日常だろうが、自分たちにもPCが一般化するまで、80年代までは確かに「手紙」があった。「手紙」は文章以外にもさまざまなことを伝える媒体だ、と彼女の「手紙」を見てあらためて思った。さて、誰に出してみようか。

ところで、横浜はすごい人でした。とくにセールのせいか、百貨店はごった返していた。とにかく人混みには5分と我慢が出来ない性質。その性質には益々拍車がかかっているようだ。煙草一本吸って早々に引き上げてきました。


neo-plastico
2009/01/04(日) 02:00:12 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
エリセの映画
ビクトルエリセの作品がようやくデジタルリマスター化された。これまでのソフトはあまりに画像がひどく、『エルスール』のファーストシーンのような繊細な映像をまったく再現できていなかったから、今回のリマスター化は嬉しいかぎりだ。

スペイン映画界でもエポックメイキングとなった名作『ミツバチのささやき』(1973)が日本に入ってきたのは、二作目『エルスール』(1983)のさらに2年後の1985年だった。六本木のヴィヴァンでの公開が最初だったと思うけど、その後私はこの作品に取り付かれ、あちこちの二番館で見続けた思い出深い映画となった。当時、私だけでなく『ミツバチのささやき』はちょっとしたブームとなり、いろんな雑誌に特集されていた記憶がある。この頃のエリセやタルコフスキーの映画は、バブル経済で混沌としてくる東京のような大都市の大きな癒しとなっていたのだろう。プリミティブなセンスに対して人々が敏感になり始めたのが、ちょうど80年代前半のこの時期だったと思う。実際、『ミツバチのささやき』に描かれるような現実と異界の交差点となる空間は、もはや80年代の東京には見当たらなくなっていた。すでに闇という空間がこの頃無くなっていたし。そういう憧れというかノスタルジーみたいな思いは今見ても感じる。自分が歳をとっている分より強く。精霊と対話できるような空間を取り戻したいものだ。


neo-plastico
2008/12/31(水) 02:04:55 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
ブニュエル全制覇す
今年は少し早めに大掃除を。めんどくさいと思いつつも無心になっての作業はけっこう心地よい。しかし、どんなに部屋をきれいにしても、これ365日つねに引っ掛かってるんだけど、大量の本とCDとDVDがまったく片付かない。売っても捨ててもどうしても棚から溢れてくる。そうとう気前よく処分しているつもりなんだけど。引っ越すのも面倒くさいし、棚を増やす場所もないし。この問題はきっと一生こうしてぼやくんだろうな。

ブニュエル『若い娘』(1960)を今回の初DVD化ではじめて見る。ブニュエルのフィルモグラフィーの中ではB級と呼べるような地味な作品、とりわけメキシコ時代に多くあり、この作品なんかがやはり当てはまってくるのだろうが、そこはしかしさすがという出来だ。専門家に研究されないような地味な作品だとしてもブニュエルはクオリティーや個性を維持している。『この庭での死』、『熱狂はエル・パオに達す』、『それを暁と呼ぶ』辺りも、『皆殺しの天使』や『忘れられた人々』やヨーロッパ時代の作品ほどで無いにしても非常に面白いし、それぞれにブニュエルの個性がじわじわ出ている。『若い娘』はこの“密室劇”なところがいかにもブニュエルだし、細かいディティールやアイテムもワクワクするほどブニュエルだ。強烈な個性を混ぜつつも娯楽として楽しませるあたりにメキシコ時代の魅力があるのかと思う。『若い娘』はあらためてこの監督の深さを感じる作品だった。


neo-plastico
2008/12/28(日) 02:37:30 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
没後10年 黒澤明

今年は黒澤明没後10年ということで、BSでの特集全30作品をとうとうすべて見る。なかなかこういう機会はないものだが、まとめて見るとあらためてすごい監督だと再確認できる。非常に印象に残ったのは、前にも書いたけど、明確な『正義』が常に描かれている点。どんなテーマでもそこが常にはっきりしている気がする。その分かりやすさが世界中で幅広く愛される普遍性なんだろうけど。そういう部分が好きかどうかは別として、さすがだな、うまいな、と感心せずにいられない。『羅生門』や『乱』なんかはわりと曖昧に描いているけど、逆により一層『正義』を考えさせてくれる作品かもしれない。しかし、『乱』のラストシーンは素晴らしかった。あの映像。あの仏画。あの夕日。まるでブニュエルじゃないか、と思ったらプロデューサーはセルジュシルベルマンだった。これ原作『リア王』だからね。黒澤もカラーになった1970年あたりからちょっと悲観的になるな。あと『夢』のラストの川面のシーン。『惑星ソラリス』を思い出したけど、実際これはタルコフスキーに助言をもらって撮ったらしい。

ところで、一番好きな黒澤作品はなんだろうか。今回の特集ではじめて見た『デルスウザーラ』や『まあだだよ』、『赤ひげ』あたりもとても良かったが、やっぱり『羅生門』か。『どん底』か。でも『蜘蛛巣城』良かったな。あれ幻想的で好きだ。シェイクスピアだからね、あれも。山田五十鈴すばらしい。まあ、一番を選ぶのはどの監督でもナンセンスですね。
2008/12/25(木) 02:49:05 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
ブニュエルの秘かな愉しみ
正月に備えて、酒、CD、DVD、が大量に届く。SHM-CDっていうのを聴いてみたくて細野晴臣の『S-F-X』と『銀河鉄道の夜』を。確かに音はすばらしく良い。しかし、理屈は何度説明されても理解できず。音が良いなら何でもいいんだけど。それにしても、『S-F-X』はリンのキックがいい。イギリス勢より使いこなしている。これもセンスか。トーキングヘッズのSHM-CDも聴いてみたい。

ブニュエルのDVD-BOX6は処女作『アンダルシアの犬』を収録。映画好きなら誰でも必ず見てるであろう作品。ダリと共に作られたこのイメージの羅列は、初めて見た10代の自分にも衝撃だった。高田馬場ACTのオールナイトで見た完全無声版は今でも忘れられない。このときの衝撃のせいか、実はほかの作品に比べてそんなに回数見ていない。ブニュエルはやっぱり晩年作だと思っているし。当時スキャンダルを巻き起こした次作『黄金時代』に明確な批判(宗教、階級、制度などに対して)が見えるのに対し、『アンダルシアの犬』はもっと曖昧で、徹底した自動筆記によるシュルレアリスムだ。同じく痛快ではあるけど、そういう意味ではまだまだブニュエル色弱いか。どちらにしても1929年にこれはやっぱり脱帽だけど。あと、DVD-BOXのデザインがこの映画に出てくる『箱』を元にしていることに初めて気が付いた。『箱』はブニュエル映画の重要なモチーフだからな。凝ってくれないと。


2008/12/21(日) 03:46:59 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
2008年のCD
突然二人の人間からmixiに誘われる。なんだって、いまさら。死ぬほど興味なし、と毒を含めて丁重にお断りする。

さて、2008年わたくしのアルバムベストです。もちろん、思い浮かんだままあげてる順不同です。

1. 『Space Frames』 Iso 68
2. 『Ferndorf』 Hauschka
3. 『After All』 Aus
4. 『Itinerary』 Jersey
5. 『Offend Maggie』 Deerhoof
6. 『Mirror』 I'm Not A Gun
7. 『覗き窓』 コシミハル
8. 『Un Dia』 Juana Molina
9. 『The Camel's Back』 Psapp
0. 『The Devil, You + Me』 The Notwist

なんか去年とあまり変わらない気がするなあ。全部2008年作は間違いないと思うけど。上位のふたつは間違いなく傑作。もうたまりません。AusとJuana Molinaは届いたばかりで1回しか聴いてないけど、Ausは『Curveland』に続いてSylvain ChauveauやCokiyuとのコラボが素晴らしい。フアナはメロディーや言葉が抽象的になった分、リズムや音の響きが強調されてなかなか気持ちいいです。またライブが見たくなった。I'm Not A Gun、Psapp、The Notwistはさすがにちょっとパターン化されてしまったかも。良いんだけど初期の衝撃は薄らいでしまった。少なくともPsappはもういいな。Deerhoofは今回のも良かった。このバンド、意外に引出し多いです。あと、全体的に今年は新譜のチョイスがいつもより少なかったかも。古いのばかり聴いていた記憶がある。個人的に盛り上がった雅楽とか。今年のベストは雅楽だな。そうしよう。


neo-plastico
2008/12/19(金) 02:23:24 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
病院へ行ってみる
久しぶりに病院へ行った。私は病院が大嫌いで、どちらかというと救急車を呼ぶくらいまで切羽詰らないと行こうとしないタイプだ。一言で言えば「面倒くさい」だけなのだが、今回はまあもう歳も歳だし、手遅れにならないうちに、ということで。

半年前から右手の親指が痛くて、放っておけば治るだろうと思っていたら、とうとう腫れてきてしまった。ペンを持ったときなどに間接を曲げると痛みが走る。自分はペンの持ち方がおかしく、普通の持ち方より親指を曲げるのでこの痛みは非常に不便だ。そのうち、あまりに長く痛むので、これは腫瘍できっと切断しなくちゃならないんだ、と勝手に思い込みだした。親指が無いと「つまむ」という行為が出来なくなり、文字も書けなくなれば、箸も持てなくなり、さらにはギターも弾けず、スポーツも出来ない不便な人生を送るのかと気持ちが落ち込んできた。そこでようやく医者に見てもらったという訳だが、レントゲンを撮ると骨に異常はなく、腫瘍のような影も写らない。おそらく腱鞘炎みたいなもので、湿布すればそのうち治るという程度のことだった。確かにしこりのような物が出来てて、それが指を曲げたときに引っ張られて痛みが走るので、しこりを針で潰せばすぐ治るんだそうだ。もちろんそんな痛そうなのは遠慮しましたけど。

夜はshibuya-axでのムーンライダーズを。毎年12月に見ているな。今年はかなりマニアックな選曲。このバンドの場合、私よりサチのがテンション高い。毎年渋々腰を上げるが、見ると来て良かったと思う。


neo-plastico
2008/12/11(木) 01:46:07 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
わからないこと

大江戸骨董市にて吊灯篭を購入。最近は鉄物に惹かれる。いつの時代のものかはさっぱり分からないけど、硝子が使われてるのでそんなに古いものでもなさそうだ。汚れて曇った硝子から洩れる蝋燭の光はとても幻想的。

そういえば、骨董好きにはやたらと生まれや時代を特定したがる人がいる。骨董屋にいた頃はホントこだわる客が多いので鬱陶しかった。実際のところ、そんな何百年も前のこと正確に分かるわけないのに。業者が言っているのはあくまで推測。たとえば、刀なんかで言うと、姿、身幅、焼き方、波紋、反り具合、茎の錆色、などで生まれや時代を推測する。しかし、そうした各地各時代の特徴に似せての偽物も多く存在する。それを鑑定士が本物だの偽物だの判断するわけだが、実際こっちの鑑定士が○でもあっちの鑑定士だと×というケースも少なくない。それだけ精巧に作られて出来がいいんだからどっちでもいいじゃない、と思ってしまうが、鑑定書が付くと付かぬとでは評価額が軽く二桁違うという現実もある。美術品に投資という概念が加わるとなんとも面白味が無くなるものだ。その逆を感じる人ももちろんいるんだろうけど。私は『分からない』という想像の種を失いたくない。
2008/12/08(月) 02:16:56 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
映画があった時代
急に夏目漱石の伝記が読みたくなりネットで購入するが、間違って子供向けのを買ってしまう。わかりやすいのは結構だが、ひらがな多くて逆に読みづらい。意外に探しても、研究書いろいろある割にいい感じの伝記が出ていない。ということで、結局紀伊国屋から出ている2枚組のDVDを購入する。

そのついでに成瀬巳喜男『流れる』と溝口健二『赤線地帯』を購入。この二作は、共に1956年作であるということ、花柳界と赤線という時代に押し流される夜の女の世界を描いているということ、豪華キャスティングであること、などなど共通点が多い。50年代と言えばまさに、世界的にも映画の全盛期。もちろん、産業としても成り立ち、さらには映画会社がプロ野球チームを持っていたという、今では考えられない時代。そんな時代の巨匠の仕事、スタッフのこだわり、俳優たちの演技。面白くないわけがない。残念ながら今の業界ではとても創り得ないであろうと思う。今の映画はひとつのジャンルでしかないからだ。50年代までの映画はプロとして取り組んだ職人の仕事。この二作を見るとつくづくそれがよくわかる。特に『流れる』のような作品の演技が出来る女優など、もうどこにもいないだろう。


neo-plastico 2
2008/11/26(水) 02:11:47 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
LIBRAIRIE BON
北園克衛を紐解くキーワードのひとつに“ボン書店”がある。ボン書店は北園をはじめとした1930年代モダニズム詩人たちの詩集やシュルレアリスム文献を発行していたいわば小さな出版社。活動したのは昭和7年から13年のわずか7年間。シンプルで洗練された造本感覚の装丁によって、今では幻の出版社と呼ばれている。つい最近、たまたま文庫化された内堀弘の『ボン書店の幻』によると、活字組みから印刷にいたるまですべてを鳥羽茂という人物一人で行い、運営していたそうである。

昭和14年、彼の消息の不明と共にボン書店も消えていくわけだが、ここから出版もしていたモダニズム詩人・春山行夫による鳥羽茂の記憶を引用すると「十数冊の詩集を出したあとで急に姿を消してしまった。詩集を出している間に結婚して、細君と二人で仕事をしていたところ、二人とも病気になって田舎で死んでしまったといわれている。彼らの郷里がどこであったのか、いつごろ彼らが世を去ったのか一切のことがわからない。鳥羽君は夫婦で働いて金を残し、数ヶ月たっていくらかの金額にまとまると、それを惜し気もなく詩集出版に投じた。小柄な、背のひくい、少し神経質な青年だった。彼も詩を書くつもりで東京に出てきたのであろうが、その情熱を詩集という形で残したのであった。私はこの夫妻の生涯を思うと、清らかな詩を感じずにはいられない。」という興味深い人物像。しかし、著作者はともかく発行者の記録などろくに残っているはずもない。内堀は著者の側でない、裏方の物語を綿密な調査によって紐解いてゆく。私は読むにつれて、すっかり北園を離れ、詩集出版に命をかけた鳥羽茂に心を奪われてしまった。まるでフィクションのようなドラマが、ひとつの小さな出版社、ひとりの刊行者に隠されていたのだ。この本、久しぶりに目頭が熱くなった。


neo-plastico 1
2008/11/23(日) 01:38:59 | 未分類 | Trackback(-) | Comment(-)
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