比較的音楽を熱心に聴く何人かに、最近なにか面白いのがあるか、最近なにを聴いているかと問うたところ、みなさんしめし合わせたかのように古いものばかり聴いていると言う。古いもの、と言っても、それはみなさんいろいろで、要するに興奮する新鮮な音楽がここのところ見当たらない、というのが、大方の共通意見のようだ。だから、古いもの、と言うか、新しいものが無いので、これまで愛聴してきたもの(またはその延長線のもの)を繰り返し聴いているということだと思う。私自身も例外でなく同じような感じで、単にピアノブームが自分の中で続いているだけであって、正直夢中で追いかけるような興奮する音楽は今無い、と感じている。もちろん、日々音楽の行方ばかり追いかけているわけではないので、おいおい何言ってんだ、これを知らないのか? という音楽があれば、ここは謙虚にぜひ教えていただきたいと思っている。
こうした不作期は今に始まったわけではなく、過去に何度か、個人的には85年、95年、05年とほぼ10年周期で起こっているように感じる。たぶん、パンク・ニューウェーヴ前夜であった75年も、私は子供だったからリアルタイムでは感じていないが、例外ではなかったのではないかと思っている。もちろん、この10年周期というのはあくまでざっくりと、だけど。で、当然そういう状況を打破するものがそれぞれの時代に出現しているわけで、それが70年代末のニューウェーヴであり、80年代末のアンビエントハウスであり、90年代末のエレクトロニカであると、私は考えている。あいだあいだにクオリティーの高い音楽が存在していることは、もちろん今ある音楽も含めて理解しているが、要するに胃の中で蛇が踊るようなゾクゾク感、じっとしていられないようないてもたってもいられない音、まさに砂漠に生命の種を蒔くような音楽、というのは、このくらいの周期で来ているような気がする。ということは、今年2009年、00年代末ではないか。期待してはいるんだけど、こればかりは偶然を伴う可能性なので、実は誰のせいでもなかったりするから。例えば、エレクトロニカのあの新鮮だったノイズビートも、OVALのプログラムエラーからはじまったと言うし。それこそ60年代末のビートルズの時代から、音楽の発展はハードの発達と無関係でなかったわけで。サルが武器を発見する、みたいな偶然がないと、どんなに音楽家が頑張っても先に進まないのかもしれない。今の音楽シーンには、ふとしたきっかけが必要なのだろう。

こうした不作期は今に始まったわけではなく、過去に何度か、個人的には85年、95年、05年とほぼ10年周期で起こっているように感じる。たぶん、パンク・ニューウェーヴ前夜であった75年も、私は子供だったからリアルタイムでは感じていないが、例外ではなかったのではないかと思っている。もちろん、この10年周期というのはあくまでざっくりと、だけど。で、当然そういう状況を打破するものがそれぞれの時代に出現しているわけで、それが70年代末のニューウェーヴであり、80年代末のアンビエントハウスであり、90年代末のエレクトロニカであると、私は考えている。あいだあいだにクオリティーの高い音楽が存在していることは、もちろん今ある音楽も含めて理解しているが、要するに胃の中で蛇が踊るようなゾクゾク感、じっとしていられないようないてもたってもいられない音、まさに砂漠に生命の種を蒔くような音楽、というのは、このくらいの周期で来ているような気がする。ということは、今年2009年、00年代末ではないか。期待してはいるんだけど、こればかりは偶然を伴う可能性なので、実は誰のせいでもなかったりするから。例えば、エレクトロニカのあの新鮮だったノイズビートも、OVALのプログラムエラーからはじまったと言うし。それこそ60年代末のビートルズの時代から、音楽の発展はハードの発達と無関係でなかったわけで。サルが武器を発見する、みたいな偶然がないと、どんなに音楽家が頑張っても先に進まないのかもしれない。今の音楽シーンには、ふとしたきっかけが必要なのだろう。

2009/06/24(水) 01:18:09 | 未分類 |
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雷雨の夜はひどく興奮してしまう。空が張り裂けそうな雷鳴と、狂ったように地面を叩きつける大雨。じっと眺めていると、このまますべてを洗い流してくれればいい、とさえ思う。打て雷よ! 雨よ降りつづけ! 地球を泥と化してしまえ!
この男はついていなかった。渋谷駅に辿り着いたそのとき、会社に携帯と財布を忘れてきたことに気付いたのである。めずらしいことではない。彼は忘れ物の常習犯であった。スーツのポケットに無造作に入れられた7千円。そして定期入れ。しかし、とにかく家に帰れればいい。
雨がぽつぽつ降り始めた。会社を出るときから、遠く雷鳴が響いていたので、安物のビニール傘は忘れずにいた。家で待っている我儘な年上の彼女が、駅まで迎えに来てくれるという期待は皆無。これはきっと土砂降りになる。傘を持っていることにホッとした。
それにしても電車が来ない。プラットホームはイライラ顔の人で溢れかえっている。15分。次第に人は増えてゆく。雨も次第に強くなり、空はゴロゴロゴロゴロ唸っている。アナウンス。「雷雨の影響により、電車は内回り外回り、共に運転を見合わせております、お急ぎのお客様は...」。これから雨が強くなる。当分動かないな、と判断して、仕方なく彼は混雑した改札を出る。窓口は苦情で殺到しているが、こんなとき一駅員に何を言っても無駄であることを彼は知っていた。
表に出てタクシー乗り場へ目をやると、人々が雨に濡れながら長蛇の列。この雨で車はぽつりぽつりとしかやって来ない。彼の郊外の家まで車で帰ると1万円以上、この雷雨の中であれば下手すりゃ倍はかかる。待ち時間と走行時間を考えただけでもうんざりする。彼は、今更ながらくだらない残業に後悔していた。残業といっても、半分は同僚と店屋物を食べながらTVの話をしていただけだ。
彼はそもそもくだらない男であった。38年間生きてきて、何の苦労も味わったことが無かった。微温湯の中で生きてきたので思想も空っぽである。お酒も飲まず、趣味も友達も無い。そのお陰かどうか、貯金だけはたっぷり貯め込んでいた。
21時40分。早く帰らないと睡眠時間が心配である。彼は最低8時間眠らないと気が済まぬ男だ。お金をおろして車の列に並ぼうと決心するが、カードは財布の中であることを思い出す。携帯も無いので彼女に連絡も出来ない。「ちぇッ」。彼は仕方なく、もう少し時間を潰そうとファーストフードのお店へ。雨は狂ったように降り続いている。電車はまだ動きそうにも無い。遠く、アナウンスの音が微かにまだ聞こえる。早く帰りたい。いったい、帰れるのだろうか。彼は不安になり、落ち着かず、10分と経たぬうちに叩きつける雨に躊躇しながらも店を出る。
「おい、こら、まて」。その男は、ヤクザ、チンピラ、不良...どの肩書きも中途半端な、しかしあきらかなるゴロツキであった。あっという間の出来事だった。スーツの片襟を摑まれて、雑居ビルの非常階段の踊場に引き擦り込まれた。彼は何が起きたのか解らなかった。いきなり腹に膝蹴り。左頬に二つの拳。「人の傘盗んでただで済むと思ってんのか、こら」。彼は安物の傘を、より汚い安物の傘と間違えたのだった。ようやくそれに気付いた彼は、震える身体でひたすら弁解し、謝り、挙句ポケットの7千円を差し出した。会社に財布を忘れた事情を説明するが、男は「これで済むのか」と胸倉を掴んで、取り上げた定期入れの中から彼の名刺を抜き出した。「会社は...」。彼は最早泣きべそであった。とことん彼はついてなかった。結局、自宅の住所まで聞き出されてしまったのだ!!
23時20分。未だ続く大雨に打たれながら、彼は渋谷の街を呪った。雨で霞むネオンの中で、電車も、タクシーも、傘も、もうどうでもいいと思った。打て雷よ! 雨よ降りつづけ! 地球を泥と化してしまえ!
その後、容赦ない悪魔のようなゴロツキに、貯金の半分以上を恐喝されたのは説明するまでも無いだろう...。
土砂降りの雨の中、頬杖をつきながら、こんな妄想でほくそ笑んでいる私はきっと悪党に違いない。

この男はついていなかった。渋谷駅に辿り着いたそのとき、会社に携帯と財布を忘れてきたことに気付いたのである。めずらしいことではない。彼は忘れ物の常習犯であった。スーツのポケットに無造作に入れられた7千円。そして定期入れ。しかし、とにかく家に帰れればいい。
雨がぽつぽつ降り始めた。会社を出るときから、遠く雷鳴が響いていたので、安物のビニール傘は忘れずにいた。家で待っている我儘な年上の彼女が、駅まで迎えに来てくれるという期待は皆無。これはきっと土砂降りになる。傘を持っていることにホッとした。
それにしても電車が来ない。プラットホームはイライラ顔の人で溢れかえっている。15分。次第に人は増えてゆく。雨も次第に強くなり、空はゴロゴロゴロゴロ唸っている。アナウンス。「雷雨の影響により、電車は内回り外回り、共に運転を見合わせております、お急ぎのお客様は...」。これから雨が強くなる。当分動かないな、と判断して、仕方なく彼は混雑した改札を出る。窓口は苦情で殺到しているが、こんなとき一駅員に何を言っても無駄であることを彼は知っていた。
表に出てタクシー乗り場へ目をやると、人々が雨に濡れながら長蛇の列。この雨で車はぽつりぽつりとしかやって来ない。彼の郊外の家まで車で帰ると1万円以上、この雷雨の中であれば下手すりゃ倍はかかる。待ち時間と走行時間を考えただけでもうんざりする。彼は、今更ながらくだらない残業に後悔していた。残業といっても、半分は同僚と店屋物を食べながらTVの話をしていただけだ。
彼はそもそもくだらない男であった。38年間生きてきて、何の苦労も味わったことが無かった。微温湯の中で生きてきたので思想も空っぽである。お酒も飲まず、趣味も友達も無い。そのお陰かどうか、貯金だけはたっぷり貯め込んでいた。
21時40分。早く帰らないと睡眠時間が心配である。彼は最低8時間眠らないと気が済まぬ男だ。お金をおろして車の列に並ぼうと決心するが、カードは財布の中であることを思い出す。携帯も無いので彼女に連絡も出来ない。「ちぇッ」。彼は仕方なく、もう少し時間を潰そうとファーストフードのお店へ。雨は狂ったように降り続いている。電車はまだ動きそうにも無い。遠く、アナウンスの音が微かにまだ聞こえる。早く帰りたい。いったい、帰れるのだろうか。彼は不安になり、落ち着かず、10分と経たぬうちに叩きつける雨に躊躇しながらも店を出る。
「おい、こら、まて」。その男は、ヤクザ、チンピラ、不良...どの肩書きも中途半端な、しかしあきらかなるゴロツキであった。あっという間の出来事だった。スーツの片襟を摑まれて、雑居ビルの非常階段の踊場に引き擦り込まれた。彼は何が起きたのか解らなかった。いきなり腹に膝蹴り。左頬に二つの拳。「人の傘盗んでただで済むと思ってんのか、こら」。彼は安物の傘を、より汚い安物の傘と間違えたのだった。ようやくそれに気付いた彼は、震える身体でひたすら弁解し、謝り、挙句ポケットの7千円を差し出した。会社に財布を忘れた事情を説明するが、男は「これで済むのか」と胸倉を掴んで、取り上げた定期入れの中から彼の名刺を抜き出した。「会社は...」。彼は最早泣きべそであった。とことん彼はついてなかった。結局、自宅の住所まで聞き出されてしまったのだ!!
23時20分。未だ続く大雨に打たれながら、彼は渋谷の街を呪った。雨で霞むネオンの中で、電車も、タクシーも、傘も、もうどうでもいいと思った。打て雷よ! 雨よ降りつづけ! 地球を泥と化してしまえ!
その後、容赦ない悪魔のようなゴロツキに、貯金の半分以上を恐喝されたのは説明するまでも無いだろう...。
土砂降りの雨の中、頬杖をつきながら、こんな妄想でほくそ笑んでいる私はきっと悪党に違いない。

2009/06/17(水) 01:48:12 | 未分類 |
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たまたま近くに用事があったため、二十数年振りに母校へ。道々、こんなに駅から歩いたか、よくも雨の日も雪の日も3年間も通ったものだ、とあらためて実感した。卒業の日、一生来ることは無いだろうと、振り向きもせずここを去ってから二十数年が過ぎた。あの日以来、私は学校というものに足を踏み入れていない。もともと、高校には何の思い入れも無かった。憶えているのは、ガラの悪い学校だったので退学者が多く、日に日に生徒の数が減ってくること。クラスメイトがバイク事故で死に、そのお葬式で彼の妹が泣き叫んでいたこと。学食のカツライスとカレースープ。同級生との付き合いもほとんど無く、卒業後に至ってはまったく無かったから、学友など誰一人思い出せない。バンドに夢中だったので、友達は渋谷のレコード店CSVやライブハウスにいた。バンド中心の生活だったので、出席日数が足りなかったはずだが、よく卒業できたものだと思う。そういえば、身内にレポートを手伝ってもらった記憶がある。
私は当時から馬鹿だったのか、まったく先のことを考えず、ただ音楽がしたいだけで、音楽に明け暮れていた。進学なんて一度も考えたことはなかった。かと言って音楽で食べて行こうとも考えていなかった。ただ衝動だけに身を任せていた。それは今も変わらないのかもしれない。しかし、PCも携帯も無い時代、音楽活動でライブハウスやら音源を置いてくれるショップやらあちこち飛び回り、チラシを作ってチケット捌いて、あれこれ駆引きして...きっと、大きな糧にはなっていたんだろうなと思う。だから、高校生活を満喫出来なかったことを、そんなに悔やんではいない。ここの高校では唯一、学んだのは忍耐力ではないかな。
2009/06/12(金) 01:52:13 | 未分類 |
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拝復
いやはやグルメですか。なんとも絡みづらいお話し。なんつっても“衣食住”に関してはとんと無頓着、というか拘らないことを心掛けているので。つまり裏を返せば非常に拘る性質だったりするので、あえて深入りしないようにしている、というのがホントのところか。でも、実際結構ぼくは味音痴を自負している。お店で勝手に出てくる御通しなんかは、なんだか確認もしないでよく分からないまま食べてたりするし。だから好き嫌いはまったくといっていいほど無い。なんでもいいのだから。しかし、持って生まれた反骨精神からなのか、たいがい流行っている店の味は、ぼくには合わなかったりする。そもそも店を選ぶ条件として、味や値段は二の次で、第一に喫煙であること、第二にいつも空いていること、この二つが何より重要だったりするのです。要するに流行っている店は落ち着かないのだ。「並ぶ」なんてぼくの辞書には無い。そのせいか、贔屓の店はどんどん潰れて無くなっていく。それでもめげず、根気よく潰れそうな落ち着いた店を探すのだ。ある意味「逆グルメ」かも知れないな。
ところで、最近のあの、カロリー計算的な、メタボ解消的な、ロハス的な風潮はどんなものか。どうもぼくはいやですね。最近なんか男も女も血の気の無いのが増えて、朝から晩まで葉っぱ食ってるのなんて、なんかいやらしいです。気障くさい。昔の映画に出てくる田中絹代とか高峰秀子みたいに、モリモリおかわりするくらいのが好感が持てますよ。開き直っているわけではなく、私は食べますよ。昭和の子だし、体形維持にも長生きにも興味ないから。
すかっりきみの趣味を批判したように見えますが、決してそんなことはありません。最初に言ったようにぼくもかなり拘る性質です。そのうち究極の店で顔を合わせるかもしれませんな。
では、また。

neo-plastico
いやはやグルメですか。なんとも絡みづらいお話し。なんつっても“衣食住”に関してはとんと無頓着、というか拘らないことを心掛けているので。つまり裏を返せば非常に拘る性質だったりするので、あえて深入りしないようにしている、というのがホントのところか。でも、実際結構ぼくは味音痴を自負している。お店で勝手に出てくる御通しなんかは、なんだか確認もしないでよく分からないまま食べてたりするし。だから好き嫌いはまったくといっていいほど無い。なんでもいいのだから。しかし、持って生まれた反骨精神からなのか、たいがい流行っている店の味は、ぼくには合わなかったりする。そもそも店を選ぶ条件として、味や値段は二の次で、第一に喫煙であること、第二にいつも空いていること、この二つが何より重要だったりするのです。要するに流行っている店は落ち着かないのだ。「並ぶ」なんてぼくの辞書には無い。そのせいか、贔屓の店はどんどん潰れて無くなっていく。それでもめげず、根気よく潰れそうな落ち着いた店を探すのだ。ある意味「逆グルメ」かも知れないな。
ところで、最近のあの、カロリー計算的な、メタボ解消的な、ロハス的な風潮はどんなものか。どうもぼくはいやですね。最近なんか男も女も血の気の無いのが増えて、朝から晩まで葉っぱ食ってるのなんて、なんかいやらしいです。気障くさい。昔の映画に出てくる田中絹代とか高峰秀子みたいに、モリモリおかわりするくらいのが好感が持てますよ。開き直っているわけではなく、私は食べますよ。昭和の子だし、体形維持にも長生きにも興味ないから。
すかっりきみの趣味を批判したように見えますが、決してそんなことはありません。最初に言ったようにぼくもかなり拘る性質です。そのうち究極の店で顔を合わせるかもしれませんな。
では、また。

neo-plastico
2009/06/08(月) 01:40:50 | 未分類 |
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突然、先の見えない真っ暗闇のトンネルに入り込んでしまうことがある。CL決勝が行われた28日明方から何かがおかしい。ひどい試合だった。ユナイテッド自慢のFとDが、バルセロナのM二人に負けた試合だった。アンデルソン、ビディッチ、ギグス、そしてルーニーがどうにもひどかった。今年のバルサが強いのはリーグ戦を見てよく知っていたが、4月以降の両者の状態を見ても勝てるはずであった。私のシーズンはこの試合の75分で終わったのだ。あとはニュースもハイライト番組も一切見ないことにした。
トンネルの入口の光がすっかり見えなくなってきた頃、大雨の中、つまらない仕事の会食に参加した。青山の日本料理屋。メニューにあった、のどぐろの焼物が品切れと聞いて、二合強のお酒が妙に回り出した。帰りに五反田で下車し、まだ時間も早く、物足りなかったので牛丼を食う。満腹の消化と煙草のために20分ばかり雨の中、肩を濡らしながら五反田の繁華街を歩く。スーツ姿の男一人、かっこうの餌なのか、ひっきりなしに呼び込みに合う。疲れているのに、これ以上馬鹿との会話はごめんだ。家に帰ると異常に身体と頭が疲れていた。
右も左も分からないトンネルの深い暗闇の中、カフェで15分ばかり眠って目覚めたら異常な寒気を感じた。この日はフランス人の友達が母国に帰るとのことで、溜池山王にてお別れ会。ふらふら眩暈を感じながらメキシコ料理店に辿り着いた。食欲はまったく無く、体中がだるく、最早知覚もなくなり、申し訳ないが一時間でお暇した。寝ないと死ぬ、とさえ思った。高熱があっても必ず風呂に入る私が、この日ばかりはどうにも動けずそのまま寝た。

翌朝、目覚めると一体何があったのか。まるで何事も無く身体が動く。確実に二、三日は立ち上がれないであろうと覚悟していたのに、まったく何事も無かったかのように読みかけの本を読み始めた。寝ている間に長いトンネルを抜け出したようだ。悪くない週末だった。
トンネルの入口の光がすっかり見えなくなってきた頃、大雨の中、つまらない仕事の会食に参加した。青山の日本料理屋。メニューにあった、のどぐろの焼物が品切れと聞いて、二合強のお酒が妙に回り出した。帰りに五反田で下車し、まだ時間も早く、物足りなかったので牛丼を食う。満腹の消化と煙草のために20分ばかり雨の中、肩を濡らしながら五反田の繁華街を歩く。スーツ姿の男一人、かっこうの餌なのか、ひっきりなしに呼び込みに合う。疲れているのに、これ以上馬鹿との会話はごめんだ。家に帰ると異常に身体と頭が疲れていた。
右も左も分からないトンネルの深い暗闇の中、カフェで15分ばかり眠って目覚めたら異常な寒気を感じた。この日はフランス人の友達が母国に帰るとのことで、溜池山王にてお別れ会。ふらふら眩暈を感じながらメキシコ料理店に辿り着いた。食欲はまったく無く、体中がだるく、最早知覚もなくなり、申し訳ないが一時間でお暇した。寝ないと死ぬ、とさえ思った。高熱があっても必ず風呂に入る私が、この日ばかりはどうにも動けずそのまま寝た。

翌朝、目覚めると一体何があったのか。まるで何事も無く身体が動く。確実に二、三日は立ち上がれないであろうと覚悟していたのに、まったく何事も無かったかのように読みかけの本を読み始めた。寝ている間に長いトンネルを抜け出したようだ。悪くない週末だった。
2009/05/30(土) 01:47:47 | 未分類 |
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水上へ。ここへ来たのは10年振りくらいだろうか。変わらず寂れた温泉街。もちろん、寂れた地を選んで来ているのだが。以前は利根川を挟んで、多く温泉宿が栄えたようだが、今はその何割かがすでに廃墟と化している。何年か前の温泉ブームにも乗れなかったので、それなりに原因はありそうだが、交通の便もそれほど悪く無いのに何故なんだろう。確かに冬季のスキー場以外に特別遊べるところも無さそうだが、温泉地なんて大体そんなものなのじゃないか。「何も無い」ところを好んで選んでいるわけだから。でも、見せ場が無いわけでもなく、谷川岳のロープウェイはそれなりに見応えあるんだけどな。それにしても、久しぶりの温泉旅。ノッてたときは、月に2回くらいのペースであちこち足を運んでいたんだけど。最近、なかなか足が向かなかったのは、なんと言ってもJRが禁煙のせいだ。私にとって、旅の醍醐味の一つである“電車”も、禁煙ともなると一刻も早く目的地に到着したく、お陰で昔みたいな電車による遠出は敬遠せざるを得ないのである。ちょっと前までは、例えば東海道であれば、都内近郊平塚くらいまでが禁煙で、あとは混雑も解消され自由だったのだが。肝の小さい世の中になっちまったものだな。
しかし、こういう場に来て何が良いかって言うと、辺りの音、その非現実的な恐ろしいほどの闇と静けさだ。こればかりは東京、というか都会では体験できない。これぞ本物のアンビエントではないかと思う。温泉も以前は遊びの一つに過ぎなかったんだけど、最近はなんだか本気で心底癒されてしまうようになってしまった。
2009/05/26(火) 01:39:34 | 未分類 |
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吉田和明著『太宰治はミステリアス』を読む。が、途中で止める。だいたい年に1〜2冊許せない書物に出会うが、これは久々に酷かった。太宰風に言えば、「とにかくそれは、見事な本であった。あっぱれな本であった。好いところが一つもみじんも無かった」。スキャンダラスな心中によるものか、ついつい“聖化”されがちな太宰の人物像を、虚飾なしに評するとこの筆者は自負しているため興味を持ったが、まったくもって期待を裏切られた。虚飾なしに評するため、“聖化”して太宰を見るファンや批評家には嫌われがちだと自分で言っているのだけど、それは大きな勘違いで、彼らが批判するのは虚飾なしだからじゃなくて、その文章であり文体であると思う。太宰ほどの表現力豊かな文章に慣れ親しんでいる人々がこんな酷い文章に納得するわけがない。こんなにまとまりのない文章なかなか無いですよ。観点もおかしいし。私は「わからない」ことも含めてありのままが知りたいだけで、太宰の死顔が微笑んでいたか否かなんてことはどうでもいいのだ。あんたの頭がミステリアスだよ。

こんな本をなぜ読んでいるかというと、たまたま久しぶりに太宰の作品を読み返しているからだ。たまたま今年は生誕100年らしいし。よく「太宰は思春期の麻疹のようなもの」と言われるが、私も10代の頃その麻疹にかかっていた。何気にそれ以来読み返していないから、25年振りくらいということになる。そういう重要な時期に触れていたせいか、時間は経てどほとんど内容は覚えていた。そして、今回はこれを機に太宰の“ありのまま”を知ろうといろいろな書物を漁っているという訳だ。生誕100年ということもあり、今年は3作くらい映画化されるらしい。もちろん、期待はしていない。

こんな本をなぜ読んでいるかというと、たまたま久しぶりに太宰の作品を読み返しているからだ。たまたま今年は生誕100年らしいし。よく「太宰は思春期の麻疹のようなもの」と言われるが、私も10代の頃その麻疹にかかっていた。何気にそれ以来読み返していないから、25年振りくらいということになる。そういう重要な時期に触れていたせいか、時間は経てどほとんど内容は覚えていた。そして、今回はこれを機に太宰の“ありのまま”を知ろうといろいろな書物を漁っているという訳だ。生誕100年ということもあり、今年は3作くらい映画化されるらしい。もちろん、期待はしていない。
2009/05/19(火) 01:05:02 | 未分類 |
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拝啓。
当初、こういう形で君に通信するというのはどうも違和感があったけど、よくよく考えてみるとこれはなかなかのナイスアイデアですよ。ここのブログも元々は、ぼくがやってたバンドのウェブサイトの更新の口実として立ち上げただけで、バンド活動していない今となっては自分にとってもただただ煩わしいものというだけで。ほとんどいつ止めようかとタイミングを見計らっていたところだったのです。これが君への書簡ということになれば、少しは自分にとっての張り合いもあるし、そしてこれがどこのURLとリンクしているか見ている人に分からない以上、書簡形式の日記かエッセイとして流してくれればいいわけだ。あるいは、君以外の人は“君”なんて存在していない、と考えて読んでくれればいいと思う。見たところ、そちらもかなり俗世間とは離脱した雰囲気が漂っているので、まあここよりはまだマシと思うが、そんなところをそれなりに楽しみにしております。

先日のメールでぼくの変化に驚いていたけど、そりゃ“あの頃”に比べれば変わったと見えるんだろうけど、実は実際そんなに変わっちゃいませんよ。少なくとも自分が若いころに想像していたような変化はしていない。よく歳取ると丸くなるなんて言うけど、全然とんでもない。ピリピリヒリヒリしてますよ、相変わらず。ただ、自分の変化に恐れはありません。常に無理なく衝動に忠実に生きていたいから、あまり強いこだわりは持たないようにしている。雑誌の広告に「若返りの維持・秘訣」なんて文句よく見るけど、あんなにみっともない行為無いからね。無理があるよ。たいがい外見と一緒に中身も発展せず逆走しているから、そういうのは嫌だな。嫌だなと思う人間にはやっぱりなりたくないよ。外見も中身も変化していく自分を素直に楽しんでいたい。
とりあえず、近況お聞かせください。ではまた。
当初、こういう形で君に通信するというのはどうも違和感があったけど、よくよく考えてみるとこれはなかなかのナイスアイデアですよ。ここのブログも元々は、ぼくがやってたバンドのウェブサイトの更新の口実として立ち上げただけで、バンド活動していない今となっては自分にとってもただただ煩わしいものというだけで。ほとんどいつ止めようかとタイミングを見計らっていたところだったのです。これが君への書簡ということになれば、少しは自分にとっての張り合いもあるし、そしてこれがどこのURLとリンクしているか見ている人に分からない以上、書簡形式の日記かエッセイとして流してくれればいいわけだ。あるいは、君以外の人は“君”なんて存在していない、と考えて読んでくれればいいと思う。見たところ、そちらもかなり俗世間とは離脱した雰囲気が漂っているので、まあここよりはまだマシと思うが、そんなところをそれなりに楽しみにしております。

先日のメールでぼくの変化に驚いていたけど、そりゃ“あの頃”に比べれば変わったと見えるんだろうけど、実は実際そんなに変わっちゃいませんよ。少なくとも自分が若いころに想像していたような変化はしていない。よく歳取ると丸くなるなんて言うけど、全然とんでもない。ピリピリヒリヒリしてますよ、相変わらず。ただ、自分の変化に恐れはありません。常に無理なく衝動に忠実に生きていたいから、あまり強いこだわりは持たないようにしている。雑誌の広告に「若返りの維持・秘訣」なんて文句よく見るけど、あんなにみっともない行為無いからね。無理があるよ。たいがい外見と一緒に中身も発展せず逆走しているから、そういうのは嫌だな。嫌だなと思う人間にはやっぱりなりたくないよ。外見も中身も変化していく自分を素直に楽しんでいたい。
とりあえず、近況お聞かせください。ではまた。
2009/05/14(木) 02:36:30 | 未分類 |
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久しぶりに六郷に釣りに。また坊主。自分ながらよく懲りずに、と思うが、もともと釣れる釣れないは問題ではないのかも。ポカンと風を浴びながら河面に浮いているウキの行方を眺めているだけが目的のような。餌なんかとっくに盗られてもジッとウキの動きを追っている。無駄な時間のようで自分にとっては大切な時間なのだ。
それにしてもCL準決勝はすごかった。おかげで自殺者は出るし、脅迫はあるし。イニエスタのゴールには午前6時近くにもかかわらず思わず雄叫びをあげてしまった。あれでエッシェンのゴールもロナウドのゴールもすべて霞んでしまったな。
根気よく『細野晴臣の歌謡曲20世紀BOX』を聴く。あらゆる20世紀ポップスの要素がここに凝縮されているように感じる。並列にコンパイルされているので錯覚するが、発表当時の斬新さを評価の中に忘れてはならないと思う。若い人には『ハイスクールララバイ』や『哲学しよう』の当時のクールさはリアル体験していないとちょっと分かりづらいかも。賛美歌コードの『夕べの祈り』、『風の谷のナウシカ』、『ガラスの林檎』がすばらしい。この形態のポップスはもうこれで打ち止めでいいでしょう。
2009/05/11(月) 00:47:10 | 未分類 |
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グールド以降ピアノブームが続いているが、クラシックばかりはなんなので現代ものをいくつか紹介します。まずはkaraokekalkからデビュー以来、ずっと私が支持し続けている“hauschka”。去年、Fat Catから出た『Ferndorf』はもちろん傑作だが、これの延長線上にある今年出た『Snowflakes And Carwrecks』がまた素晴らしい。どこかで聞いたタイトルだけど、まあそれはいいとして、これはピアノものとしてはかなり私にとってベストに近いアルバム。程好いミニマル感と程好いメランコリズム。プリペアードピアノがとってもノスタルジック。この人は“to rococo rot”等とも交流のあるエレクトロニカ畑のアーティストなので、技巧に走らないこの程好い感じが絶妙なのだ。Gonzalesなんかもエレクトロやりながら『solo piano』なんてのをヒットさせたけど(このアルバムも素晴らしいです)、やっぱりこの絶妙さはhauschkaのほうがクールだな。この4月にも来日していたらしいけど、次回は逃さず見に行かなくちゃ。
もうひとつはブエノスアイレスより“Mono Fontana”。『Cribas』という素晴らしいピアノアルバムを出しています。わたくし、この人天才だと思っております。旋律はちょっとジャジーなんだけど、さすがアルゼンチン音響派と呼ばれるだけあって、ピアノの後ろで様々な日常音を響かせてます。犬の鳴き声からタイプを打つ音まで、非常に幻夢的なというか、ぼーっと幻聴でも聴いているかのようなサウンドです。ピアノものを聴くならこれは外せない作品でしょう。
2009/04/30(木) 00:25:35 | 未分類 |
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